使徒の働きも最後の学びになりました。パウロはローマに入り、クリスチャンたちの出迎えを受け、勇気づけられました。
そして、監視の兵士は付いていましたが、一人で生活することが許されました。
三日後、パウロはローマにいた、おもだったユダヤ人たちを自分の宿に集め、接触を図っています。そこで、パウロはユダヤ
人たちと良好な関係を築くことに心を砕きながら、カイザルに上訴した経緯を話し、意見交換を行っています。全てはイスラ
エルの望みのためでした。20節「私がこの鎖につながれているのは、イスラエルの望みのためです。」鎖は恥です。恥は我
がもの、栄光は主のもの。目的を果たすためには我が身を捨てる、神様を第一とするパウロの姿を見ることができます。人は
触れたもの、自分の近くにあるものに似ていくと言われます。ぶどうの木である主に枝として繋がっている人は実を結びます。
枝ではなく、木に力があるからです。聖霊の導きはそのためにあります。これに対するユダヤ人の反応は慎重そのものでした。
自分たちには何の先入観もないし、直接、パウロから直接、話を聞きたいと思って集まったのだと言っていますが、これは
社交辞令であり、好奇心から集まったようです。
二回目の集まりでは、更に多くの人が集まりました。パウロは食事をするのも忘れて、福音を語り続けました。それを聞いた
聴衆の反応は割れたようです。これまでの各地における宣教でも見られたことでした。厳しい言い方になりますが、福音は
聞く人たちをふるいにかけます。パウロはこれを見てイザヤ書6章9節の御言葉を思い起こし、聖霊が先祖に語ったとおりだ
と言っています。
そして、この後の二年間、夢にまで描いて来たローマ伝道にいそしんでいます。その後、パウロの身に何が起こったかは明ら
かではありません。本書におけるルカの目的は一つです。使徒の働き1章8節「聖霊があなたがたの上に臨むとき、あなたが
たは力を受けます。そして、エルサレム、ユダヤトサソマリアの全土、さらに地の果てにおいて、わたしの証人となります。」
この主の御言葉のその後を記録し、残すためでした。末尾の30、31節にはルカのその思いが込められています。
本書は28章で終りますが、復活の主の働きは主の再臨の時まで完結することはありません。その日まで、教会は福音に生き、
福音を語らなければなりません。それは初代教会の時代から現代の教会に託されている大事な使命です。
最後になりますが、多くのクリスチャンはパウロが世界最強の神の証人であることに同意するはずです。しかし、当の本人は
世界最強の証人は神様ご自身、聖霊であると考えていたと思います。だとすれば、神の霊と御働きに信頼し、任せる時、私たち
も使徒パウロと同じような奉仕ができるはずですし、この教会も初代教会のような働きをすることができるはずです。一番重要
なことは、神が生きて働くことをそのまま信頼することです。
神様の導きによる私たちの働き、教会の働きによって、29章、30章が付加されていくようにしたいと思います。
唐川 尊議 牧師
2021年5月16日