サムエル記はイスラエルの歴史書であり、預言書です。この書の中心テーマであるダビデ王国は新約聖書の中心テーマである
キリストによる新しい創造、神の国の到来を預言しています。
物語はエフライムの山地、ラマタイム・ツォフィムに住むエルカナに焦点を当てて、始まっています。1節には彼の系図が示
され、この書が信頼に足る書であることを示しています。
ところで、聖書は一夫一婦制を神様による人間創造の原点に立って捉えることを求めています。しかるに、彼には二人の妻が
ありました。最初の妻、ハンナに子供がいなかったことが原因のようです。エルカナはハンナを愛し、ただ一人の妻だと考え
ていましたが、後継ぎを得て、家系や絶やさないようにしなければならないという社会的要請からもう一人の妻ペニンナを迎
えるようになったようです。礼拝を守り、神を信じていたエルカナには大変厳しい選択であったと思われます。又、当時の
社会通念とは言え、ニ人目の妻を娶るという選択には後ろめたさもあったと思われます。ペニンナを迎えたハンナは苦しみま
す。食事をすることもできなくなりました。当初、二番目の妻のペニンアは控えめであったのでしょうが、自分の胎に子供を
宿した時点からハンナを見下すようになりました。エルカナは「あなたにとって、私は十人の息子以上のものではないか。」
と言って、ハンナを慰めるのです。しかし、これはペニンナにとっては屈辱です。それが更に、ペニンナを苛立たせ、ハンナ
への悪態が増すことになりました。良かれと思ってやったことが皆を傷つけたのです。
深い悲しみに襲われた時、人は何処に行き着くのでしょうか。10節「ハンナの心は痛んでいた。彼女は激しく泣いて、主に
祈った。」「主が私の胎を閉じておられるなら、私のために開いてください。」と激しく訴えたのです。
ハンナは以前にも増して、神様に近づくことになりました。神様は信頼できるお方、良いお方です。私たちは全身全霊をもっ
て神様だけに向き合わなければなりません。神様だけを頼らなければなりません。
子供を授かるということは人間の力では如何ともしがたいことです。神様の御手にあることです。だから、ハンナは余計に苦
しんだのです。しかし、彼女はその苦しみ、痛みを抱え込まず、そのまま神様にお渡ししたのです。。神様を諦めて、他の
ものに頼ること、求めることをしませんでした。これが大事なことです。これが私たちの信仰でなければなりません。何が
あっても、神様だけに向き、徹底的に尋ね、応えられるまで求め続けなければなりません。
私たちにはこの社会で生活する上で応えなければならない要請、社会的責任があります。時に、それがイエス様を信じる信仰
と相容れないことがあります。そこで戦いが生じます。その時に忘れてはならないことは一人で戦わないということです。
イエス様の許に逃げ込むことです。そして、信仰の仲間に頼ることです。
ハンナの神様だけを第一とする姿勢は主の明確な応答を得ることになっていきます。次週、続けて、主の答えを聞いていきま
す。
唐川 尊議 牧師
2021年6月13日