前節で、イエス様は五つのパンと二匹の魚で5000人以上の人を養われました。人々はイエス様に熱狂しました。イエス様
は静まる時を作るために、弟子たちを舟に乗せ、対岸に向かわせました。そして、ご自身は祈るために山に登られました。
ところが、向かい風で舟が前進できなくなったのです。その様子をご覧になったイエス様は湖の上を歩いて、舟に近づいて
来られました。それを見た弟子たちは幽霊と思ったようです。怯える弟子たちにイエス様は話しかけられます。「しっかり
しなさい。わたしだ。恐れることはない。イエス様の言葉を聞いた弟子たちは冷静さを取り戻しました。すると、ペテロは
自分も水の上を歩いて、イエス様の側に行きたいと申し出ます。この行動については批判的な見方が多いですが、次のよう
に考えることはできないでしょうか。
1)イエス様が勧める「求めなさい。探しなさい。叩きなさい。そうすれば与えられます。」を積極的に実践したと捉える
ことができます。
2)ペテロが常に求めていたのは、何時も、イエス様の側にいることでした。イエス様と共に歩むことでした。
確かに、ペテロは多くの失敗をしました。その度に、イエス様から注意され、他の弟子たちの失笑を買っていました。
しかし、彼らはペテロを通して大事なことを学んでいたのです。イエス様はそのことを承知の上で、ペテロに接していたと
思われます。
かつて、作家の三浦綾子さんが「聖書ほど人間の真実を語る書物はない。」と言いました。聖書は全てをさらけ出していま
す。だから、聖書には真実があるのです。誰でも自分の悪い所を隠したいものです。しかし、神の前には全てが明らかです。
それは私の存在を、皆さんの存在を否定するためではなく、愛をもって、あるがままを受け入れるためです。そこに神様の
恵みがあります。だから、神を信頼する人は本当の心の平安を得ることができるのです。
水の上を歩み出したペテロは強風を見て、水の上を歩いているのが怖くなり、沈み始めました。そして、イエス様に助けを
求めています。イエス様は「何故、疑ったのか。」とたしなめています。イエス様以外のものが目に入る時、疑い、恐れは
やって来るのです。現実に心を奪われるのです。
私は25年前に、ある夏のバイブル・キャンプで、一人の宣教師に出会いました。それがきっかけで神学校に行き、牧師に
なる決心をしました。しかし、神学校への入学願書を提出するまでの間、多くの葛藤がありました。それを乗り越えること
ができたのは、もう一度、神様を見上げ、「わたしに従いなさい。」と言われたイエス様の言葉を聞き直したからです。
私たちの日常生活には多くの試練、葛藤、困難があります。私たちはつまずいてもよいのです。倒れても大丈夫です。沈ん
でも構わないのです。大切なことは、恐れず、新しい一歩を踏み出し続けることです。直ぐに応えてくださるイエス様が側
に立っておられます。イエス様にある失敗は全てが恵みに変えられます。このことを信頼しながら、一日一日をイエス様と
共に歩んでいきたいと思います。
唐川 尊議 牧師
2021年7月4日