御霊の火を絶対に消さない テサロニケ人への手紙第一5章16~19節

今日はペンテコステを記念して礼拝を捧げています。
パウロは第二次伝道旅行でテサロニケの教会を立ち上げました。そのテサロニケの教会が厳しい迫害に曝されています。パウ
ロは教会の兄弟姉妹に、これまでの働きへの感謝と励ましを伝えるためにこの手紙を書きました。書かれた時期は紀元51年
ごろ、場所はコリントと思われます。
使徒の働きにあるように、パウロ自身が幾多の厳しい迫害を受けてきました。しかし、自分が関わった人たちが辛い目に遭っ
ているのですから、別な意味で、辛かっただろうと思われます。又、このままでは皆が信仰を失ってしまい、テサロニケの
教会の存続が危ういと考えたでしょう。適うなら、彼らの所に飛んで行って、助けてやりたいと思ったのではないでしょう
か。そこで、パウロは大胆な提案をします。16~18節「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおい
て感謝しなさい。」
この三つの勧めを実践することは尋常なことではありません。ある哲学者が一番厄介なのは自分自身だと言いました。これは
自分を捨てれば、道が開けるということでもあります。パウロは聖霊の強い働きによって、自分を明け渡して、神様に委ね切
れば、神様に任せ切れば、この三つの励ましを実践することができ、道が開けることを体験してきました。この励ましはパウ
ロの伝道経過を知るテサロニケの教会の人々を奮い立たせただろうと思います。
今の私たちの教会もテサロニケの教会とは異なりますが、危機に曝されています。教会を通してイエス様を信じる人が起され
ないという教勢弱体化の危機です。神学なき宣教は危険であると言われます。しかし、宣教なき神学は無意味だとも言われま
す。私たちが忠実に、誠実に、礼拝を守っても、どんなに聖書を学んでも、それを外に向けて発信し、分ち合わなければ、実
を結ばせることはできません。この危機と戦っているのは私たちだけではありません。何処の教会も程度の差はあるでしょう
が、抱えている問題です。神様の負託に応えなければなりません。何故なら、そこに私たちが選ばれた理由があるからです。
仕える者の喜びがあるからです。
75年前にディティモア・マクセイ宣教師から始まった鹿児島キリストの教会と串木野キリスト教会はアメリカの復帰運動を
源流としています。バプテスト教会から独立した時のスローガンは「聖書に帰る」「初代教会の働きに戻る」でした。その一
つの実が私たちの教会です。原点に返ることも大事です。
1995年のオウム真理教による地下鉄サリン事件から、教会の伝道は急速に難しくなったと言われます。しかし、聖書には、
求めれば与えられるという確かな約束があります。又、ペンテコステの後、聖霊、神の助け主が使徒たちに下ったことにより、
彼らは力強く、喜びをもって、宣教に踏み出していきました。私たちも初代教会の人たちのように、聖霊の働きを求め、聖霊
の力を信じ、聖霊に頼りながら、心を尽くし、思いを尽くし、力を尽くし、義なる神様の御心に仕え、教勢の拡大に努めて
いきたいと思います。

唐川 尊議 牧師

2021年5月23日