神を尊ぶ人とは・・・・ サムエル記2章27〜36節

ハンナの誓願によって授かったサムエルは神様と人に愛されながら、成長していきました。主にある成長こそ、ハンナが
望んでいたことでした。その一方で、少年サムエルを指導してきた祭司エリとその息子たちは祝福を取り除かれることに
なりました。息子たちが神を恐れず、祭司の職を軽んじたからです。
27節「神の人がエリのところに来て、彼に言った。」「神の人」とはモーセ、エリヤ、ダビデ、新約ではテモテに使われ、
預言者、説教者を表します。四つの神の言葉を預言しています。
1)こ自分はイスラエルをエジプトの奴隷生活から助け出した真の神である。
2)エリの家系に与えた祭司職は多くの祝福があるけれど、果たすべき責任もある。
3)息子たちはいけにを杜撰に扱い、私腹をこやすという祭司としてあるまじき行為を行った。更に、エリはそれを厳しく
  戒めなかった。
4)それ故に、エリとエリの家には裁きが下される。
これは30節「わたしは、わたしを重んじる者を重んじ、わたしを蔑む者は軽んじる。」という主の御心が成就するためで
した。そして、これから起こる出来事の全ては神のご計画によって進められることを強く知らせるためでした。
この裁きはエリの家だけの問題ではありませんでした。祭司の家は神と神の民を繋ぐ重要な役割を担っていましたので、
国全体の問題でもあったのです。
エリの家に対する神の恐ろしい裁きが記されています。モーセの時代から続いてきた歴史ある祭司の家が途絶えてしまうの
です。そして、息子二人が取られてしまうのです。これは祭司として受け入れることができても、親の立場としては受け
入れ難いことだったでしょう。悔恨と絶望がエリを支配したと思われます。
主なる神は生きておられ、私たちに祝福を与えられることを何よりも喜びとされますが、御心に適わないことは厳しく裁か
れます。それだけではありません。祭司エリに将来の約束もして、次に繋がるための憐れみも用意してくださいました。
35節「わたしは、わたしの心と思いの中で事を行う忠実な祭司を、わたしのために起こし、彼のために確かな家を建てよ
う。彼は、わたしに油注がれた者の前をいつまでも歩む。」
エリは祭司として、自分の息子たちを教育することには失敗しましたが、200年もの間、祭司としての務めを果たして
きた家の出身です。それなりの責任と誇りは失っていませんでした。エリはサムエルの祭司教育を任されたことに主の哀れ
みを感じたに違いありません。エリは主の裁きを受け入れていきます。イスラエルの国自体の衰退を受け入れることができ
なかったからでしょう。これはエリだけではなく、神の言葉を聞こうとする私たちにも与えられている希望です。
ある人が言いました。「神を尊ぶとは、必ずしも、神のために偉大なことを成し遂げるということではない。全ての選択
を神の判断に任せたり、全ての価値基準を神に置いたり、日常のあらゆる出来事を神の御名をあがめるために役立てよう
とする心をもち続けることだ。」
私たちもこのことを心に留めて、歩んでいきたいと思います。

唐川 尊議 牧師

2021年8月1日