他に頼るところなし イザヤ書2章17〜22節

終戦記念日です。この戦争で約310万人の日本人の命が失われました。その内の9割の約220万人が1944年以降に
亡くなったと推測されています。改めて、不戦の誓いを新たにしなければなりませんし、速やかに過ちを悔い改めることの
大切さを思わされます。
本日はイザヤ書を開いています。預言者イザヤの時代、イスラエルは北王国イスラエルと南王国ユダに分裂していました。
イザヤは南王国ユダにおいて、暗闇の中にあった神の民へ将来の希望を語りました。しかし、民はそれに耳を貸しませんで
した。アッシリヤ帝国の習慣にならい、神様が最も忌み嫌われる占いや魔術のようなもので国中を汚していたのです。
彼らはあれにもこれにも神の名を付けることによって、十戒の「主の御名をみだりに唱えてはならない。」を無視し、アブ
ラハムから始まった唯一の神に仕える誇り、強さ、喜びを失っていたのです。これは大戦前の我が国にも言えることです。
そもそも、神は人間を最高の被造物として造られました。そして、主イエスは人となられ、全ての人に神の存在は明らかに
され、神の愛を示してくださいました。その創造主以外のものを拝むことはあってはならないことです。その理由を整理し
ておきましょう。
1)被造物を崇拝することは創造主への侮辱となるからです。
  主は初めであり、終りだと言われました。全ての起源である方を差し置いて、被造物を拝むということはあってはなら
  ないことです。
2)神以外に信頼を置くことは、私たちが神を知り、伝えることの妨げになるからです。
  造られたものには序列があります。最初に来るのが人です。私たちは神の創造物の全てを管理し、用い、運用する働き
  に召されています。神様と私たちの間に入るものはありません。礼拝は人間が行う最も崇高な行為です。そして、神を
  拝することは礼拝者を霊的に高めます。
3)私たちが自分の努力に頼るようになるからです。
  人は良いものを造れば造るほど、良い働きをすればするほど、我力に対する思い込みが強くなります。それは神様から
  与っている賜物によって、なし得たことに過ぎません。神にお返ししなければなりません。
先の大戦における我が国のアジア周辺諸国への仕業を見ると、私たちは被害者であったと同時に、加害者であったことも忘
れてはならないと思います。滅びは神様を忘れることから始まります。神以外のものを優先し、拝することのないように心
したいと思います。これはイザヤが警告し続けたことでした。22節「人間に頼るな。鼻で息をする者に。そんな者に、何
の値打ちがあるか。」
本当に価値のあるのは、全身全霊をもって神を信頼し続けることです。このことが問題に真摯に向き合う力と勇気を与えて
くれますし、日本が、そして、私たち一人一人が同じ過ちを犯さないためにも大事なことです。主イエスは平和を愛する者
ではなく、平和をつくる者が幸いであると言われました。そのことにおいて、私たちの務めは小さくありません。平和は
神様を拝することからしか始めることができないことを心に留めたいと思います。

唐川 尊議 牧師

2021年8月15日